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  • 執筆者の写真shichusuimeitorazo

モノを売る(買う)時代から、コトを売る(買う)時代へ


僕が小学生の頃は、音楽は楽器屋さんで買ってカセットテープに録音して聞いてたし、写真はインスタント使い捨てカメラで撮って、写真屋さんに現像してもらっていた。 要するに、専門屋さんが専門の『モノ』を売っていたのだ。

それから四半世紀が経過した今では、スマホひとつあればどんな場所からでも、どんなものも手に入れられるとんでもない時代になっている。音楽を売ってた楽器屋さんがやってくれた事も、カメラや写真を売ってたカメラ屋さんがやってくれてたことも、今ではスーパーマシーンのスマホが全部やってくれてしまうのだ。

何かを買おうと思ったときに、家から一歩も出ずに、何ならソファーから一歩も動かずに誰とも会わずに、ある程度のものが買い物できてしまう。 でも、そんな便利なシステムがあるのに、不思議と買い物に出かけてしまう。自粛が明ければみんな多少の危険を感じながらも、ショッピングモールや繁華街に繰り出すのだろう。スマホで買えるのにお店で買う。不思議だ… では、人がモノを買うときには何を基準に選ぶのだろうか。 値段?カタチ?原材料?

基準は人それぞれだろう。しかし、本当に知りたい部分はきっとこうではないだろうか。 『どんな人が、どんな想いで、どんな人のために、どうなってほしくて作ったのか。 そして、それを手にした自分の生活はどう変わってくのか。』 そこに共感し、感動し、お金を払うのではないだろうか。 モノだけが欲しいのであれば、自動販売機やネットがあれば十分だ。 だが、そのモノの中に、どんな『物語=コト』が詰まっているのかを知ることにより、そのモノに付加価値と信頼が加わり、モノ以上の価値を感じ、生活に反映させたいと考えるのではないだろうか。 逆に売り手を考えると、この情報が溢れる社会で自分しか知らない知識や技術なんてそうそうない。そのありふれた情報とモノに、どれだけの自分にしか与えられない『物語=コト』という付加価値を与えるかが必要になってくる。 ほとんどの作業が機械化されていく中で、居場所を失う人が増えるのではないかと思う方もいるだろうが まったくの逆だ。 だからこそ、人にしかできないことだけが残り、あなたじゃなければできないことがあり、今まで以上に『個性』が重要になってくるのだと思う。 何を買うかではなく、誰から買うか。 何を売るのではなく、誰が売るのか。 人は人なしでは生きられないのだろう。

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